クッキングハウスからこんにちは No.224
(記事の一部抜粋)

2025年9月30日発行

私のリカバリーの物語(第十九回)
「よく生きてきたね」「よくがんばっているね」

当事者にかけてほしい言葉
心の病気をするということは苦しいものです。不安になりやすく、人と会うと緊張することが多い。パニックになったり、昔のつらい記憶がフラッシュバックしたりする。薬も必要で飲み続けなければいけないし、その影響で体がだるくなる。こういうことを抱えて生きていかないといけません。当事者にぜひ「よくがんばっているね。よく生きてきたね」と声をかけてあげてほしいです。実はこの言葉は松浦さんが私たちメンバーにくれた言葉です。こんな言葉をかけてもらった事がなかったので、初め私は戸惑いました。自分のことを「あれもできない。これもできない」と、どちらかと言えば「がんばれていない」と思っていたからです。でも、松浦さんの言葉で、みっともなかったかもしれないけれど、私なりに苦しい人生を生き抜こうとしていたのだ、という事がわかるようになりました。周りがこのようにあたたかく見守ってくれると、当事者は安心して回復に専念できます。松浦さんの書いた本「不思議なレストラン」に、こんな文章があります。「精神科の病気は薬で治る部分と、薬だけでは治せない部分がある。薬で治しきれない部分というのは、人と人との出会いの関係によって、自信や勇気を回復していくことだ」。クッキングハウスのやっている事は、まさにこれ!と感じます。当事者の家族、近くにいる支援者の方に、どうかあたたかく支えていただければ、と思います。はたから見てイライラする事もあるかもしれませんが、当事者は心と体に、目には見えない重い荷物を背負っているのだ、と理解してもらえると嬉しいです。                                                 (前澤真貴子)
第三者評価の年です
3年に一度の第三者評価を実施中です。調査して下さる「みんなの力」からの説明会もメンバー・スタッフで熱心に聴き、アンケート開始。経営者に向けた、たくさんの質問もあり、丁寧に書きました。活動の一つ一つを見直し、どうしたらもっと質の高い活動にできるかを展望できるいいチャンスと考えています。10月21日㈫は3人の調査員が来所、一日かけて調査をします。来年、とうきょう福祉ナビゲーションで公表されます。(松浦幸子)
2025年度 第16期 メンタルヘルス市民大学
心が自由になることとリカバリー

リカバリーとは、自分自身の考え方や価値観が変化していくプロセスでもあります。自分をかたくなに縛っていた今までの考え方を変えてみることで、心が少しずつ自由になっていくプロセスを、大切に味わっていくこと。不自由だった自分の心の枠を広げ、解放してあげることを仲間との学び合いや語り合い、作業を通じて、日々行っていくこと。「リカバリー」と「自由を求め続けること」とは切り離せない関係にあると思います。今年のメンタルヘルス市民大学では生き生きと活動されている外部講師を招き、自由の幅を広げていく学びをしていきましょう。                                     (松浦幸子)
第1回 日本のルーツを訪ねる飛鳥時代の話
ゲスト:吉岡淳(世界遺産講師、カフェスロー代表)
日時:10月31日㈮ 13:30~16:00 参加費:2,000円(資料・ティータイム付き)
飛鳥時代(592年頃~710年)は、日本が法律(律令制度)に基づく、天皇を中心とする中央集権国家の基礎を確立した時代です。遣隋使・遣唐使を派遣し、中国や朝鮮半島からの大陸文化を積極的に導入し、国際交流を盛んにして仏教も定着しました。聖徳太子の冠位十二階、十七条の憲法の制定、大化の改新の政治改革は、歴史の授業でも日本という国が形作られた時代として、習った記憶が蘇ります。当日の講座の看板制作に打ち込んでいる斉藤さんの、見事な聖徳太子の絵もぜひご覧ください。
第2回 見えないけれど 忘れないでほしい
志賀原発・あらがった方たち 能登の大地震
ゲスト:志田弘子(じゃり道工房主宰、友禅染め絵作家)
日時:11月7日㈮ 13:30~16:00  参加費:2,000円(資料・ティータイム付き)
能登半島七尾の友禅染め絵作家・志田弘子さんの「じゃり道工房」を訪ねたことがあります。一家全員が芸術家で、素朴なアートの家。原発・戦争から子どもたちを守っていこうと、必死に子どもたちを抱き包む母の絵が、心に飛び込んできました。志賀原発をつくらせてはいけない、と闘ってこられた方でもあります。2024年元旦の能登の大地震の後、「能登のことを忘れないで」と伝えるために絵本「見えないけれど」を出版されました。「ちいさな絵言葉が ほんの少し 優しい風になれますように」と願いを込めて。いのちへのあふれる愛を語って下さることでしょう。
スペシャル旅 記録し、記憶、そして継承していくこと
市民による民主化運動の原点を訪ねる旅in韓国・光州
ハン・ガンの小説「少年が来る」の読書会からスタート
韓国・光州の旅の同行者・小森陽一さんを講師に、ハン・ガン(韓国の作家。2024年ノーベル文学賞受賞)の「少年が来る」の読書会。旅を企画してくれた“たびせん”の集会室が会場。読むことがつらくなり、もう閉じようかと葛藤が起きてしまう小説。1980年5月18日、光州民主化運動。独裁政権に抵抗した、たくさんの学生・市民が軍隊の弾圧で尊い命を落としたのでした。若い命を閉じた身に何が起きたのか。生き残ったものは、あれからどうやって生きてきたのか。子どもを失った母親は、どんな人生を送ってきたのか。丹念な取材の元、死者と生き残った者の声にならない声を書いている。「書く」ということが作者にとって、どんなにつらく苦しいことだったろう。でも、書いておかねばならない。そのためには単純な方法では表現できず、主語が二人称「君」になったり、一人称「私」になったりする。死ぬことを覚悟した主人公・トンホ少年が心に刻まれる。
ボランティアのキム・ヨンチョル(金容哲)さんのフィールドワーク
5.18民主化運動を忘れないで
8月1日から3泊4日の旅。民主化運動の起きた光州を訪ねる。収容されていた元刑務所跡は、今は自由公園で5.18の記憶をのこしている。焼ける程に暑い光州の街を、あふれる情熱で語り最後までボランティアで案内してくれたのはキム・ヨンチョルさん。当時は朝鮮大学の学生だったとのこと。あまりの暑さと、目を覆いたくなる弾圧の残酷さを目の前にしながらも、「忘れないこと、忘れたら同じことを繰り返すのです。だからしっかり見てほしい。」と語るキム・ヨンチョルさん。全身全霊で私たちに伝えようとしている誠実さに導かれて、歴史を辿って歩き続けました。光州の街の全てに5.18民主化運動の記念が、遺されていました。若者たちと市民が、尊い命を犠牲にして大統領直接選挙へと民主化への道を切り拓いてくれたのです。光州の市民たちも炊き出しをして抵抗運動を応援したのでした。応援をすることが光州市民の伝統となり、社会を変えていく文化運動へと広がり、今、光州市は文化都市として世界の注目を集めています。
トンホ少年の母(オモニ)に会えた
「少年が来る」の主人公のトンホ少年、故ムン・ジェハク君の母キム・ギルジャさん(84歳)が私たち一行に会いに来て下さり、当時の様子を語ってくれた。「高校一年、17歳だった息子は、戒厳軍の無差別の弾圧で1980年5月27日に死んだ。家を出るなと止めたが、飛び出していき見えなくなった。ずっと息子を捜した。豆を炒るような銃弾の音がひっきりなしに聞こえ、全く眠れない夜だった。たくさんの遺体を中学校の顔写真と合わせて捜した。ビニールに包まれた息子の遺体を母は認めることができなかった。何もしてあげられなかった悲しみ。幼い頃の息子の思い出を辿りながら、どこかにいるのではないかと今でも思ってしまう。
息子の名誉を回復しなければ。ただ民主的な活動をしただけなのだ。死ぬことを覚悟して最後まで残っていた息子を誇らしく思う。ただ暴動と片付けられたら耐えられないことだ。民主主義を支えなければ。息子を誇りに思って生きていこう。母の部屋は政府に監視された。『これ以上、闘争しなければ一生苦労させないお金を出す。』こんな脅しを一切拒否して一銭ももらわずにやってきた。長い間、正しいことを知らせることができずにいたが、ハン・ガンの『少年が来る』出版のお陰で世界中に知られるようになった。ハン・ガンとも会って話を聞いてもらえた。母として、しっかりと生きていきたい。私のことを“オモニ”と覚えておいてほしい。」
市民と運動が、歴史と社会を動かしてきたこと。記録・記憶することで継承への努力をすること。民主化運動の原点を光州から学んでいきたい。
キム・スウォンさんとの再会
現地ガイドのキム・スウォン(金寿栄)さんと再会できました。2011年4月に笠木透さん、増田康記さん、あい子さんたちと詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)を訪ねる旅をした時、延世大学の尹東柱記念館を案内してくれました。あい子さんがサンダルのような履物だったので、自宅から歩きやすいスニーカーを持ってきてプレゼントしてくれたのでした。コロナ禍、全くガイドの仕事がなくなり、大型バスの運転手の資格をとったけれど、年齢で雇ってもらえず、タクシーのドライバーをやりながらガイドの仕事の復活を待っていたとのこと。日本語を忘れていくのではないかと不安な日々だったが、旅行ができるようになって日本のお客様が見えたら「心の中にいっぱい日本語が刻まれていたから、あふれるように言葉が出てきたのよ」と喜びを語ってくれました。4日間の旅でもすべての解説や講演会の通訳を見事にこなしてくれたのです。65歳になられたというキム・スウォンさんのはつらつとしたガイドは、自分の考えもきちんと語り、日本と韓国の人々との素晴らしい文化交流となりました。
「2024年12月3日、当時の大統領が戒厳令を出した時、光州での記憶が蘇り、ここまで民主化を進めてきたのに再び独裁政権に戻ったら大変なことになるという危機感で、私たち市民は誰が指示したのでもなく、自然発生的に国会前に集ったのです。ソウルの冬はとても寒さが厳しいので、着れるだけたくさん着込んで行きましたよ。」
                                                    (松浦幸子)
劇団文化座 朗読劇「ガザ・モノローグ」
私の生まれた1948年はイスラエルが建国された年。その時からずっとパレスチナの人々の苦難は続き、戦争の絶えることがなかったのです。2023年10月7日からは今までにない大規模な攻撃が続き、毎日たくさんの市民が死に、ガザの人々は恐怖と飢え、飢餓で死線をさまよっている。食糧配給で空っぽの鍋を突き出し、泣いている子どもたちの顔を見ることは、とてもつらいことです。飢えや、親や兄弟の死は、子どもにとってずっと深い心の傷となって苦しむことになると思うと、自分にできることはないだろうか。1日も早く戦争を止めるために多くの人々が心を痛めていることだと思います。
文化座が朗読劇「ガザ・モノローグ」を企画していることで、できることを協力したいと、№223の通信に案内のチラシを同封しました。
「空爆の続く日々の中でも、パレスチナの人々は演劇することをあきらめていません。今回の朗読劇は1991年に創立された、アシュタール劇場が公演している、パレスチナ市民の声なき声を集めたモノローグ集です。尚、この公演の収益の一部をパレスチナ ヨルダン川西岸で実施している子どもの心理社会ケア事業に寄付させていただく予定です。(文化座・佐々木愛さんより)」
思いを同じくする人たちが、たくさん参加して下さり、8月22日の滝野川会館大ホールでは、懐かしい方々に再会することができました。文化座の11名の若手新人が半円に座り、バックに生演奏のピアノ(上田亨)、ヴァイオリン(太田恵資)が入り、緊張しながら真剣に朗読(構成・指導 米山実)。一人一人がパレスチナ市民の名前を名乗って語ります。私たちはニュースで死者や負傷者の数だけを知らされますが、人は一人一人の名前を持ち、それぞれの生きてきた環境と、大切な人間関係と、尊厳があることを伝えてくれるのです。朗読の前に札幌で「母」の公演中の佐々木愛さんからのメッセージ。若者たちがガザに心を寄せ、戦争の傷みに気づいていくきっかけになれば、と企画に込めた願いを語ってくれました。パレスチナと日本とは遠く離れているけれど、ここで「ガザ・モノローグ」を文化座の若者が真剣に朗読し、たくさんの市民が集まり、心を寄せて聴いていることがきっと伝わり、いつか戦争の終結に繋がっていくことを願います。(松浦幸子)  
「ガザ・モノローグ」シェアリング
朗読会の後、ずっしりとたくさんのメッセージを受け取った私たちは、メンバー・スタッフ・市民と気持ちを語り合い、今日の大切な時間が希望に繋がるように、近くの喫茶店でシェアリングの時間を持ちました。「遠くの出来事ではなく、生の息づかいのある、人としての訴え、窮地の惨状を伝えていて、涙なしに聞けませんでした。イスラエルとパレスチナは、長い歴史の中で、かつては共存していたと聞いています。SNSで声を上げたり、話を聞いて涙を流したり、心を込めて寄付するなど、自分のできることをやっていきたいと思いました。」(櫻井)  「最近の参議院選挙で核の抑止力を主張する政党に票が入っていて大丈夫なのかな。力で押さえつけることは、暴力を認めているように思いました。」(大塚)  「見えないからといって無いことにしてはならない。今、起きている現実を受けとめるのに、こうして皆さんとお話しする時間が持てたことは、有難かったです。私には何が出来るだろうか、自分ごとにするためにはどうしたらいいのか、様々な課題をもらいました。考え続け、少しでも伝えていきたいです。」(溝井)                  (井出歩)
文化座観劇のお誘い「蛍の光、窓のイージス」
作:畑澤聖悟 演出:西川信廣 10月17日㈮~10月26㈰ 東池袋あうるすぽっと
問い合わせ03-3828-2216(文化座 平日10:00~18:00)
          042-498-5177(クッキングハウス)
卒業式の答辞の一部がイージス・アショア(陸上配備型のミサイル迎撃システム)に関する内容が含まれていたので、カットしてほしいと説得する教師と、拒否する生徒。卒業式はあと2時間で始まる。どうなるのだろう?
日中戦争終結から80周年
記念のつどい アジアの平和を文化で繋ぐ
戦後80年。もう戦争はしないと世界にも誓い、憲法9条を守ってきた市民の協力。しかし、日本は年ごとに軍備を拡大し、南西諸島も軍事基地化させています。世界の流れも民族排外主義に傾いて、“日本人ファースト”という考えが広がっているのです。いったい日本はどこに向かおうとしているのでしょう。そんな中、戦争での苦しみの体験を今、語っておかねば次の世代に平和を伝えられないと、ようやく心の中の深い傷を語りだした高齢の方々。80年もの間、全く口に出すこともできない程、つらい経験だったのです。
あい子さん、有光さん、田村さん、松浦の4人で8月11日、日中友好協会東京文化センター主催の「日中戦争終結から80周年記念のつどい」に参加しました。390人の参加者でテーブル席も満席です。クッキングハウスのクッキーもご注文いただき、中国からの留学生や朝鮮学校の生徒さんやゲストに、そして交流会のおやつにも役立てていただけて、事務局の北中一永さんの心配りに感謝です。日中友好協会に集まる市民の方々は、力を合わせてよく働き、イベントを大家族のようにあたたかい場にしてくれています。講演は作家の島田雅彦氏。「米中露の狭間に生きるということ―歴史のifをめぐって」。日中友好協会東京都連の会長である中国映画評論家の石子順さんは「重さと軽さで鋭く日本の現実を衝いた。“もしも”を考えさせた。」「アメリカの属国のような日本状況への鋭い指摘とともに、いくつも警告と挑発もこめられた迫力と深味のある話だった。ここには八月の声がひびいた。」と報告を書いておられます。(日中友好新聞 世話人語㊹)
二部はアジアの平和を文化で繋ぐイベント。再生の大地の合唱、太極拳、朝鮮学校の生徒たちの踊り。「差別をしないで」と訴える朝鮮学校の生徒のスピーチに胸がうたれました。中国伝統の京劇の変面。瞬間の早業に歓声が上がります。アンパンマンの変面には、ワッとざわめきの声。どんな困難な状況の時でも、一緒に楽しみ、笑える文化を持つこと。1955年から日中不再戦の誓いを込めて、草の根の市民活動をしてきた原動力は、共に心から楽しめる文化があったからでしょう。                    (松浦幸子)
能登復興支援 田谷船長からのメッセージ
8月14日、クッキングハウスのみんなで続けている能登復興支援募金を、今回は137,430円お送りしました。ご協力ありがとうございます。能登サンライズの田谷船長こと田谷武博さんからお礼のメッセージが届きました。
「クッキングハウスの皆様から多大な支援金いただきました。くれぐれもよろしくお伝えください。その気持ちに恥じない自分であるのか、自問自答の毎日です。ほぼ一人暮らしのお年寄りたちが散歩の途中で、笑顔で語れる場所、安否確認でもあります。私が開いている輪島のインスパイヤーベース(みんなの居場所)に誰かがいてくれることが大切だと思って、スタッフにも手伝ってもらっています。他より絶対に、愛情の込め方がすごいと思って疑いません。お年寄りが感じている目の前の困難や、不安はすぐに察知して対応しています。今後ともよろしくお願いします!」
震災から日が経ち、寄付がほとんど集まらなくなってきているとのこと。まだまだ復興には遠い状態です。これからも応援していきましょう。                  (松浦幸子)


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